シーカヤックのススメ②

長かった夏が終わったと思ったら、4日前は11月なのに雪。
秋はどこ行った。

こんにちは、工事部の杉原です。

年々秋の存在感が薄くなっていると感じるのは私だけでしょうか。
寒さに弱い私にとっては、もう少し冬を短くしてもらいたいです。
できれば夏が11ヶ月、冬1ヶ月でお願いします。

ということで、今回は「シーカヤックのススメ」を書く予定でしたが、この寒さではとても書く気になれず、シーカヤックをやってるとこを想像しても波しぶきが冷たくて辛いです。
なので夏が近づいたら書くことにします。

さて、今年も残すところ1ヶ月ちょっととなり、あと3日で12月です。
12月の第1日曜日には毎年那覇マラソンが開催されていて、私は毎年参加しています。
那覇マラソンが近づくと、「今年も終わりかぁ〜」という気持ちになります。

昨年の大会では、マラソン仲間とサンタに仮装して走りました。
その時の写真がこれです。

img_3628

ヒゲを盛り過ぎて少し後悔している一番右端が私です。
※お腹が出てるのも作りです。実際はここまで出てません。まあ、大して実物と変わりませんが。

この日の那覇市の気温は25度。
25度というと普通にフルマラソンを走っても暑いのに、この時のヒゲもさることながらフェルト生地の服とアフロのカツラがとても暑かったです。

そして袋にうまい棒を60本入れて、沿道で応援してくれている子供達に配りながら走りました。

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もう沖縄の元気な子供達が喜ぶんですよう。
配ってるのはうまい棒なのに。

こうして配りながら走っていると、後ろを走るランナーが、
「わあ、このサンタさんホントのサンタさんだあ」
と会話しているのが聞こえてきました。

それを聞いたのか分かりませんが、別のランナーが近寄ってきて
「サンタさん、なんかちょうだい」
と話しかけてきました。

私:「今食べるならあげますよ」
ランナー:「中身は何ですか?」
私:「うまい棒です」
ランナー:「うわーパサパサになるぅ。今食べないとダメですか?」
私:「今じゃないとダメです( ̄へ ̄)」

そう言うと、「僕らの分まで子供達にあげて下さい」と言い残して去っていきました。

この後もサンタに仮装したオカマのランナーに
「プレゼントの袋重そうね。頑張って〜」
と声をかけられたり、台湾の方(ランナー)に一緒に写真を撮って欲しいと言われたり、すごく楽しかったです。

しかし楽しかったのは前半のみ。
思いのほかお菓子を配るのに時間をくっていたようで、ハーフを制限時間ギリギリで通過しました。

そして第二関門の34km地点もギリギリの通過で、両脚がいつ攣ってもおかしくない状態だったんで、
「あれ?今回完走出来ないかも」
と思いました。
後から仲間に聞いたら、私は今回完走出来ないと全員思ってたそうです。

残り6km地点から長い登りが続くんですが、この時、
「アフロやめとけばよかった」
とか
「ヒゲ盛り過ぎたな」
「連続完走記録がこれでストップかあ」
と後悔の思いが過っていたんですが、その時、完走出来なかった時の仲間の声が聞こえてきました。
「杉原さん、(ヒゲ)盛り過ぎですよう」
「お菓子配るのやめとけばいいのにぃ」
「だから言ったじゃないですかぁ」
「あそこまでの仮装は4時間切れる人じゃないとやっちゃダメなんですよ」
と散々言われてるのが目に浮かびました。
みんな年下なのに。

そう思ったら「絶対完走してやる」という気持ちがこみ上げてきて、力が湧いてきました。
しかし気持ちとは裏腹に体は限界を超えていて、正直初マラソンの時よりも辛かったです。

それでもなんとか頑張ってゴールまで残り50mに来た時、後ろから、
「あ、杉原さん」
と仲間の声がしました。

「杉原さん絶対完走出来ないと思ってましたよ。オレいつの間に抜かされました?」
と聞かれましたが、いつ抜かしたなんて他の人を見てる余裕なんかありませんでした。

こうして何とかゴールが出来たんですが、実はこれからがまた大変だったんです。

ゴールしてメダルをもらう列に並んでたんですが詰まっていてなかなか進まず、「早く水が飲みたい」と思っているとダンダン気分が悪くなり、めまいもし始め、一緒にゴールした仲間に、
「ちょっとしゃがんでるから進んだら教えて」
と言って膝をつきました。

しばらくして仲間が、
「杉原さん、進みましたよ」
と声をかけられましたが、もう立ち上がる事が出来なくなっていて、多分酸素が足りないんだろうと思い、私は仲間に頼みました。
「多分酸素が足りないから酸素をもらってきてくれるかなあ?担架は要らないから」
そう頼むと、救護室へ走っていきました。

待ってる間もドンドン気分が悪くなり、とうとう寝転がりました。
しばらくして担架を持った救護の方が何人か来て、
「杉原さん、大丈夫ですか?」
と声をかけられましたが、もう起き上がる事は出来なくなっていて、喋るのも辛く、首を振ることしか出来ず、さっきは「担架は要らないから」と言ったけど、心の中では「担架でお願いします」と思っていました。

すると救護の方が、
「杉原さん、今から担架で運びますね」
と言ってくれました。
ところが即座に仲間が、
「いや担架はいいです。担架ほどじゃないですから」
と彼は私に恥をかかせないようにと、必死で止めるんです。
しかし私は心の中で「いや、さ、さっきとは状況が違うんだ…、い、今は担架で…」と念じるのが精一杯で、声に出せませんでした。

仲間は更に、
「担架はいいので酸素をあげて下さい。酸素を」
と一生懸命伝えてくれていて、彼はホントにいいヤツで、優しくて人のために一生懸命になれるいいヤツなんです。
でもこの時ばかりは、「まずオレの状態を見てくれ。さっきとは様子が違うだろ?あきらかに酸素だけの問題じゃない雰囲気だろ?」と、彼に『状況判断』という言葉を教えてやりたかったです。

そして実際酸欠だと思ってた私に救護の方が意外なことを。
「酸素濃度を測ったら、酸素は足りてるんですよ。むしろ多すぎるんです」
あれ?
私はタバコを吸うので人よりも酸素を吸収出来ないと思って、深呼吸を繰り返していたけどそれが逆効果だった?
どうりでドンドン具合が悪くなるはずだ。
こうして私は担架で運ばれました。

そのころ妻は、私に何度電話をしても繋がらないので、
「救急車で運ばれたか?」
と冗談を言っていたそうですが、駆けつけた仲間が私は担架で運ばれた事を告げると、
「はは、ウケる」
と言って救護室へ向かったそうです。

駆けつけた妻に私は、
「もうサンタに仮装しない」
と言っていたそうです。

あれから1年。
今度の日曜日に那覇マラソンがあります。
私は学習能力が足りないようで、今年もサンタで走ることにしました。

やっぱりあの子供達の笑顔が忘れられません。
しかもヒゲは去年より増量(笑)

結果はまたブログで書こうと思います。

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